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佐藤正美@satou_masami

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2020年02月23日(日)9 tweetssource

2月23日

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佐藤正美@satou_masami

読書の目的は、ベーコン氏(哲学者、政治家)の次の ことば に集約されるのではないか(「随筆集」)──「反対したり論難したりするために読書するな。といって、信じたり、そのまま受入れたり、話や議論の種にするため読書するな。ただ思い、考えるために読書せよ」。

posted at 15:22:27

2月23日

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佐藤正美@satou_masami

若い人たちも、いずれは [ 社会に出れば ] 自らの思想を試される時が来ます。しかし、他人(天才たち)の思想を装って、社会を衆愚の集まりとして端(はな)から見下していたら、自らが抱いている思想(借り物の思想?)の験証ができないでしょう。

posted at 15:22:12

2月23日

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佐藤正美@satou_masami

青年は書物から社会・人生を学ぶしかない。読書において大切なことは、小林秀雄氏の言うように、他人から学んだ思想を自分の人生のなかで験証することでしょう(社会・人生を肉眼で観ること)──それが身証ということでしょう。人生を難なく歩くための「法則」などはない、めいめいが工夫をしている。

posted at 15:21:55

2月23日

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佐藤正美@satou_masami

そうして、正しいことを言っている自分は他人からわかってもらえないと思い込んで一匹狼を気取りつつ他人を見下し、そのいっぽうで衆愚と侮っている他人たちの団欒な生活を観て妬み寂しさを感じる──「文学青年」 にありがちな性質です。私も若い頃には そういう性質を たっぷりと帯びていました。

posted at 15:21:39

2月23日

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佐藤正美@satou_masami

他人(天才)の思想を装って、社会・人生を見透かした気になって社会・人生を斜に構えて観て [ 正面から対応せず、皮肉な態度をとって]、「正論」(書物から学んだ観念的な分かり切った正論)が社会のなかで行われないことに怒りを感じる。

posted at 15:21:21

2月23日

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佐藤正美@satou_masami

そして、書物から学んだ思想を(意識的であれ無意識的であれ)装う、天才の著した書物を多数読んで社会・人生を わかった気になる──「文学青年」と揶揄される人の特徴でしょうね。私も 御多分に洩れず そうでした。

posted at 15:21:08

2月23日

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佐藤正美@satou_masami

若い頃には、社会体験が ほとんど学校という場所に限られていて、書物を読んでも、書物と対比できる自分の体験・思想が少なくて、いきおい「書いてある思想によって自分を失う事」が多くなってしまうでしょう。

posted at 15:20:54

2月23日

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佐藤正美@satou_masami

読書において「自分の身に照らして書いてある思想を理解」 できるようになるのは 30才くらいになってからであって (つまり、社会に出て、或る程度 社会体験を積んでからであって)、高校生・大学生の頃には難しいでしょう。

posted at 15:20:38

2月23日

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佐藤正美@satou_masami

「小説を創るのは小説の作者ばかりではない。読者も又小説を読む事で、自分の力で作家の創る処に協力するのである。この協力感の自覚こそ読書のほんとうの楽しみであり、こういう楽しみを得ようと努めて読書の工夫は為すべきだと思う」(小林秀雄、「読書の工夫」)。

posted at 15:20:23

2020年02月18日(火)11 tweetssource

2月18日

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佐藤正美@satou_masami

「老いて益々盛ん」 とは、私には冗談としか思われない。余所見(よそみ)しないこと──もっと正確に言えば、余所見するほどの余力はなくなっているので、やりたいことに集中すること──、私は 66才の今、それを実感しています。

posted at 15:03:32

2月18日

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佐藤正美@satou_masami

過去と断絶しないかぎりは、未来の選択肢も過去の延長線上 限られてくるでしょう。そして、齢も重ねてきて、智慧がついてきたいっぽうで、体力的にも精神的にも衰退してくる。体力・知力が次第に喪われつつあることを意識すれば、自ずから「要らないものは、だんだん はっきりして来る」。

posted at 15:03:15

2月18日

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佐藤正美@satou_masami

そして、そうやって選択してきたことの積み重ねが人生であって、自らの人生を振り返ってみれば、偶然や矛盾に満ちていることがわかる(他人の人生は私にはわからないけれど、少なくとも私の人生は偶然・矛盾だらけだった)。

posted at 15:03:05

2月18日

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佐藤正美@satou_masami

「人生は謎」、そうなのでしょう──未来があるかぎり。そして、誰も自分の未来など正確に描けないし、現在において、未来への希望を頼りにして可能性を ひとつずつ判断して選択していくしかないのではないか。

posted at 15:02:51

2月18日

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佐藤正美@satou_masami

思索のどこかで危なっかしさを感じて、思索をやめればいいのですが、凝り性の私は停めることができない。先人たちの思想の大海を泳いでいると、まるで 夜中の大海に投げだされたような、どこに向かって泳いでいるのか 皆目わからない不安・恐怖が常に付き纏う。だが、知って停められるものでもない。

posted at 15:02:37

2月18日

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佐藤正美@satou_masami

しかも、数学・哲学・文学・英語の学習は、言語が(それが自然言語であれ形式言語であれ)主題なので、自ずから「思考すること」そのものを考えることにもなります。そうすると、考えることを考えるという底なしの泥沼に足を入れることになってしまう。

posted at 15:02:25

2月18日

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ただ、この仕事が自分の性分にあっていると思っています──私は、人づきあいが嫌いで、独りで考えているほうを好み、日常生活のこと(住居、食事、ファッション など)には興味がない。そして、仕事と私生活が ほとんど重なって、それらの境界線が はっきりしない。

posted at 15:02:12

2月18日

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佐藤正美@satou_masami

私はシステム・エンジニアと称しても、システムを実際に作るのではなくて、システムを作るためのツール(モデル技術)を創るのが仕事です。どちらかと言えば、割のあわない [ 金銭の儲けがない ] ことを 30年間 続けています。

posted at 15:01:57

2月18日

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佐藤正美@satou_masami

私の仕事は、モデル論を前提にして、事業分析・データ設計のためのモデル技術を作ることです。そのために、30才代の半ばから今(66才)まで数学・哲学・文学・英語の書物を読んで一所懸命に考えてきました。

posted at 15:01:34

2月18日

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佐藤正美@satou_masami

私は小林秀雄氏のような才ある文学者ではないので(私はシステム・エンジニアです)、小林秀雄氏ほどの深い思索をしてきたとは自惚れていないのですが、それでも自分の仕事上ずいぶんと読書・思索をしてきました。

posted at 15:01:19

2月18日

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佐藤正美@satou_masami

「人生をあれこれと思案するについて、人一倍の努力をして来たとは思っていないが、思案を中断した事もなかったと思っている。そして、今僕はどんな動かせぬ真実を掴んでいるだろうか。すると僕の心の奥の方で『人生の謎は、齢をとればとる程深まる』とささやく者がいる。」(小林秀雄、「人生の謎」)

posted at 15:01:03

2020年02月10日(月)11 tweetssource

2月10日

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佐藤正美@satou_masami

書物を読んで魅了されて書物が好きになった、そして書物が好きだから書物を読んでいる、それでいいではないか。後付けの蘊蓄・屁理屈などは酔狂にすぎない。

posted at 21:48:43

2月10日

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佐藤正美@satou_masami

書物を多数読んで書物について蘊蓄(うんちく)を披露する輩を私が嫌うのも、そういう輩には小林秀雄氏が述べる自覚 (「実生活にとって芸術とは屁のようなものだ」という自覚)がなくて、そういう人たちは芸術を高尚なもののように思っていることに因るのかもしれない。

posted at 21:48:28

2月10日

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佐藤正美@satou_masami

書物好きな私は、書物を読まない人たちを侮ってはいない。実際、書物を読まないでも、頭のいい立派な人たちは私の周りに多くいます。

posted at 21:47:55

2月10日

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佐藤正美@satou_masami

私は、40才から現在(66才)まで、モデル論を手がけてきましたが、その根柢には言語(文学・哲学・英語・数学)の主題があるからこそ探究を続けてこられたのであって、もし私がプログラマの延長線上でモデル論を捉えていたのならば、これほど長いあいだ探究を続けられなかったと思う。

posted at 21:46:13

2月10日

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佐藤正美@satou_masami

読書の効用などということには私は全然興味がない。敢えて言えば、読書は「考える」材料を私に与えてくれるから、私は進んで読書するというのが正直な感想です。そして、「考える」材料として、文学・哲学・英語・数学の書物が私の好みにあう。

posted at 21:46:00

2月10日

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佐藤正美@satou_masami

私は、自分が住んでいるアパートの他に、書斎用として一室(3DK)を借りて書物を置いています──その賃借料は高いので、貧乏な私は極貧状態ですが、それでも書物を読みたい。

posted at 21:45:46

2月10日

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佐藤正美@satou_masami

やがて、その不満が堪えきれない沸点に達して、私は とうとう 辞職しました。辞職した理由は、仕事が辛いからではなくて、書物を読むための時間が確保できなかったからです(辞職の理由として それを会社に正直に言った訳ではない、「プログラマは、自分のやりたい職ではない」と伝えました)。

posted at 21:45:33

2月10日

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佐藤正美@satou_masami

書物を読めない日々が続いて、元来が読書好き(文学好き)な私は、プログラマになったことを とても後悔していました。ただ、自分が請け負った仕事は きちんとやり遂げたかったので、読書できない不満を抱きながらも、プログラマを一所懸命に演じていました。

posted at 21:45:13

2月10日

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佐藤正美@satou_masami

私は、若い頃(20才代後半)、プログラマの職に就いていたのですが、システム納入日が近づくにつれて、御多分に洩れず、残業・徹夜の日々を送っていました──10日間、コンピュータ室に閉じ籠もって、家に帰ることができなかたこともあります(現代なら、労働基準法 違反になるでしょう)。

posted at 21:44:58

2月10日

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佐藤正美@satou_masami

「一般に若い頃に旺盛だった読書熱というものを、年をとっても持ちつづけている人はまことに少い。本を読む暇がなくなったという見易いことには誰でも気が付くが、本というものを進んで求めなくなって了った自分の心には、なかなか気が付かぬ。又、気が付き度がらぬ」(小林秀雄、「読書の工夫」)。

posted at 21:44:42

2020年02月01日(土)8 tweetssource

2月1日

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こんなことは、我々の日常生活のなかで、特に親の子どもに対する愛情とか恋人同士の愛情のなかで、体験していることではないか。そして、相手の「精神」に対して注意を払わない人物のことを「がさつ(rude、coarse)なヤツ」というふうに我々は非難するでしょう。

posted at 23:20:49

2月1日

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佐藤正美@satou_masami

全体しか感じることのできないが、全体としての「精神」の中身が一つ一つ定かではなくとも、或る時点での精神状態を他の時点での精神状態から区別するだけの認知力(注意力)を発揮できるのは、相手に対する愛情(あるいは、興味をもって注意を払うこと)をおいて他はないのではないか。

posted at 23:20:28

2月1日

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佐藤正美@satou_masami

しかし、「個性」を顕しているのは、まさに この「精神」ではないか。そして、「個性」すなわち「精神」は その全体として現れるしかない。

posted at 23:20:16

2月1日

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佐藤正美@satou_masami

存在するが説明できない、あるいは説明できないが存在する「精神」の様態は、非科学的な恣意的な対象として疎んじられる傾向が現代では強くなっているのではないか、と私は感じています。

posted at 23:19:52

2月1日

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佐藤正美@satou_masami

科学は、我々の遺伝子・細胞・骨格・筋肉・神経などの構造(しくみ)を説明してくれる。しかし、その構造全体が生み出す「精神」の様態(状態・様相)を説明してはくれない。

posted at 23:19:38

2月1日

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佐藤正美@satou_masami

「精神」などという目に見えないものは、日々の仕事でも生活でも その真価を問われることはないし、そういうものを真面目腐って云々する人物は うっとうしい [ スマートじゃない ] と。

posted at 23:19:24

2月1日

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佐藤正美@satou_masami

仕事が専門化されるにつれて、技術重視のテクノポリス的社会のなかで、それに呼応するように我々のペルソナ(個的人格)も矮小化(機能化)されているのではないか、あるいは 個人の「思想」などは日常生活の活動から浮いた 灰汁(あく)のように現代ではみなされているのではないか。

posted at 23:19:11

2月1日

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佐藤正美@satou_masami

「友は、日に新たに理解出来なくとも、少しも差支えのない全体として現れる。愛情は、そういう全体しか見やしない」(小林秀雄、「鏡花の死其後」)。相手の全体を身をもって感じて、そして あるがままに受け入れる、それが愛情ということでしょうね。

posted at 23:18:58

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