@7danmoroboshi 「概念そのものの記述」ということで何がいみされているかによりますが、その概念がどういう関係性において使用・認識されているかが明確化できるだけでもだいぶクリアになる部分はあるとおもいます。
posted at 21:00:33
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@7danmoroboshi 「概念そのものの記述」ということで何がいみされているかによりますが、その概念がどういう関係性において使用・認識されているかが明確化できるだけでもだいぶクリアになる部分はあるとおもいます。
posted at 21:00:33
@7danmoroboshi 形式化をする過程である概念の明確化がなされる期待があるということと、その形式化の結果を処理するのはかならずしも人間である必要はないという理由で、ぼくは形式化はがんがんすべしとおもっています。帰納的推論の部分にかんして、そこまで形式化になじまないものでしょうか?
posted at 20:57:56
@7danmoroboshi そして、そういう試みは、とりあえずは「何があるか」という(本義的)存在論の問いを捨象してなしうるとおもいます。
posted at 20:52:32
@7danmoroboshi とちゅうで投稿してしまいました。ゆえに、そくらてすさんの認識に大過はないとおもうのですが、関係性の網の目である語をとらえるという試みは、哲学の述語にかんしてもっとなされてもいいとおもっています。(哲学のオントロジーをつくる試みはないではないですが、まだまだ足りない)
posted at 20:51:13
@7danmoroboshi オントロジー工学におけるいみでオントロジーという語をつかっています。https://en.wikipedia.org/wiki/Ontology_(information_science)…
posted at 20:48:11
@Nr2YcdmDGE53729 @fujitapiroc1964 @wagatsukireizen @squawai 何であれ、きょくりょくブレのない共通認識を樹立するというのが重要におもいます。そうでなければ、議論もへったくれもないということになりかねないので。
posted at 20:43:57
@7danmoroboshi なにゆえにでしょう。
posted at 20:39:19
@fujitapiroc1964 @Nr2YcdmDGE53729 @wagatsukireizen @squawai そもそも、当事者としては自分のやってることがどういうジャンルにぞくするかよくわからずにつっ走ってることがおおいとおもいます。
posted at 20:38:40
@7danmoroboshi 頻出概念にかんしてはざっくりとではあれ「何をいみしているか」についての共通概念は設定できれば、ぐらいの動機でしょうか。「何が基底概念か」にかんしては、その次の段階の話になるとおもいます。
posted at 20:37:12
@Nr2YcdmDGE53729 @fujitapiroc1964 @wagatsukireizen @squawai 学術の分野は学制的にいろいろな学部や学科にわかれてはおれど、それらは本源的に硬直的に区分できるものでもないので、学問の「際」をこえて協力関係がきずければいいんでしょうが、じっさいにはなかなかむずかしい。でも、個人的にはいろいろな分野から「いいとこどり」をしたいとおもいます。
posted at 20:34:15
ぼくがいう「形式化」とは、とりあえず「哲学のオントロジーをつくる」ということがいみされている。(そしてこれは、いうまでもなくけっこうな大事業)https://en.wikipedia.org/wiki/Ontology_(information_science)… https://twitter.com/fujitapiroc1964/status/1742143003785924668…
posted at 20:26:52
@Nr2YcdmDGE53729 @fujitapiroc1964 @wagatsukireizen @squawai 「学際的」という言葉がありますが、本源的に学問というのは学際的なもので、ぱっと見あまり関係がないような分野でもつかえる知見はつかえばいい。とくに哲学なんかは形式化になじまないではないわけで、その方向性をさらにおしすすめれば見とおしもよくなるだろうとかんがえる次第です。
posted at 20:23:08
@fujitapiroc1964 @Nr2YcdmDGE53729 @wagatsukireizen @squawai 数理論理学や計算機科学でいう形式言語にかぎらず、議論をしている両者のあいだに何か共通認識がえられればいいんですが、そのためには、あるいていど数理論理学あるいは計算機科学でいわれるような形式言語に範をとったものを想定するのがよいとはおもっています。
posted at 20:19:54
@Nr2YcdmDGE53729 @fujitapiroc1964 @wagatsukireizen @squawai 議論にあらわれる概念にかんする共通認識の樹立は、そのそもそもの議論が成立するためにも必須とおもうのですが、その共通認識の樹立のため、形式化が(いろいろないみで)いちばん低コストだとぼくにはおもわれます。
posted at 20:15:34
@wagatsukireizen @fujitapiroc1964 @squawai @Nr2YcdmDGE53729 また、「(ここで議論されている、あるいはすべき)形式言語は静的なものではなく、研究や議論の進行とともに変化する動的なものなのかもしれません」というのはおっしゃられるとおりで、議論の進行につれ、形式化とその自然言語での正当性表明がいりまじることになるのは不可避とおもわれます。
posted at 20:13:10
@wagatsukireizen @fujitapiroc1964 @squawai @Nr2YcdmDGE53729 哲学における議論の形式化について、部分的には(もちろん哲学の下位区分によりけりですが)それなりに記述の形式化はなされているにせよ、ぼくからすると「もっといけるだろ」とおもってしまいます。
posted at 20:11:58
@wagatsukireizen @fujitapiroc1964 @squawai @Nr2YcdmDGE53729 「今後人工知能が発達して、哲学を自らが作り出した形式言語で語り出したら面白い」——これ、じっさいにやりたいんですよね。それを実現するスキルはないではないので、実現にむけてがんばります。
posted at 19:59:25
@wagatsukireizen @fujitapiroc1964 @squawai @Nr2YcdmDGE53729 様々な形式化がえられることじたいはわるいことではないとおもいます。何となれば、その形式化を土台とした議論ができるわけですから。
posted at 19:57:50
@wagatsukireizen @fujitapiroc1964 @squawai @Nr2YcdmDGE53729 「現在の哲学自体がそのような形式化を目指す運動なのではないか」ということについて、哲学の現場に身をおいている人間としては、「そんなことはないんじゃないかなあ」とおもいます。そして、基本概念の共通認識をえることにかんしても、ぼくはあくまで「スタートにすぎない」とおもっています。
posted at 19:55:31
自分が経験して「いやだなあ」とおもったことはそれを後世にのこさないようにしたほうがいいとおもうのだけど。
posted at 19:30:31
年配者の使命というものがもしあるとすれば、自分がしてきたいらぬ労苦を年わかい人たちにはさせないようにすることがそのひとつだとおもうのだけど、じっさいはそういう労苦を再生産しようとする年配者がいる。よくないことだとおもう。
posted at 19:29:18
これのタイトルの「t_hayashi は形式化したい」めっちゃいい。うん、形式化したいですね。 https://twitter.com/fujitapiroc1964/status/1742126378752041086…
posted at 19:24:51
まとめていただきました。藤田さん、および議論にかかわっていただいたみなさん、ありがとうございます。
posted at 19:13:26
@fujitapiroc1964 @wagatsukireizen @squawai @Nr2YcdmDGE53729 ありがとうございます!
posted at 19:11:51
このようにいうと、いかにも薄っぺらな道徳の教科書風にひびくかもしれないけど。でも大事だよ。
posted at 19:08:55
ぼくは、ぼくのかんがえることにかんして、それをかんがえている時点では「ただしい」とおもっている。でも、その「ただしさ」の絶対性については、いつも留保しようとおもっている。
posted at 19:07:35
稲葉振一郎さんが立岩真也さんについて、その「おれはもしかしたらまちがってるかもしれない」という姿勢がつねにあることを評価していたけど、そういう姿勢はとても重要におもう。
posted at 19:05:42
つまり、自分が「こうである」とおもったことをいうだけではなく、それにたいする反論を頭ごなしに否定するのではなく、きちんと検分すること。当たり前のことではあるけど、じっさいにそれを実行しようとするとなかなかむずかしい。それができるようにならなければいけない。
posted at 19:04:34
Nizi Project Season 2 をみていて、J.Y. Park さんが「真実・誠実・謙虚」ということをくりかえしいっていたのだけど、これは学問においても必須なことだよなとおもった。
posted at 19:02:27
@fujitapiroc1964 @squawai 本領発揮ですね。
posted at 18:54:11
@fujitapiroc1964 @squawai お手数をおかけしますが、まとめられたものをあらためてふりかえってみたいので、おねがいします!
posted at 18:51:48
@fujitapiroc1964 @squawai わかります。何というか、自分の考えをはやくつたえたいあまり、指があせってしまう。ぼくとしては(ねがわくば)藤田さんのおっしゃれれるところは(それなりに)じゅうぜんにわかっているつもりですが、藤田さんが「誤解されてるな」とおもわれる点があればご指摘ください。
posted at 18:48:49
自然災害や戦争にまきこまれて死んでしまう人びとはいうのおよばず、そもそもの環境的要因で年わかく死んでしまう人びとがたくさんいる。そういう人びとのことをおもうと、ぼくはきえてなくなってしまいたくなる。
posted at 18:46:13
@fujitapiroc1964 @squawai 法証明論、じつは昔日興味があり、すこしかじったことがあるのですが、いまとなってはほとんどおぼえていません……。何であれ、学問分野によって「正しい」とされることの判断基準がかなりことなるなとおもった覚えがあります。
posted at 18:43:21
どういう理由によるのであれ、自分の意思にはんして死んでしまうというのはぼくは絶対的な悪であるとおもっている。その要因がたとえ自然災害であったにしても。
posted at 18:37:59
よかった。ほんとうによかった。 https://twitter.com/livedoornews/status/1742116560201036004…
posted at 18:36:11
@fujitapiroc1964 @squawai どういう学問であれ、自分のやっていることがいくばくなりともその知見をひろげるようなものであってほしいとおもっているとおもいます。その知見をひろげるにはどうすればいいか。ぼくはじゃっかん教条的になっているきらいがあるので、色んな人の意見をききたいです。
posted at 18:33:46
@fujitapiroc1964 @squawai 饗宴だったらいいのに──ほんとうにそうです! 哲学にかぎらず、学問というのは自説が反駁されたにしても、それはその当該学問にとっては「進歩」であって、そういういみで「win-win」なはずなのですが、当事者としてはそういうふうには解釈できない場合もあり、むずかしいですね。
posted at 18:27:49
こうはいったけど、そうした「基準」をどうえらぶかで紛糾してしまうんだよな。 https://twitter.com/t_hayashi/status/1742110931835031749…
posted at 18:20:29
@fujitapiroc1964 @squawai そういう地点は「想像上の楽園」にすぎないかもしれませんが、でも、表面上の言葉の相違でおたがいにいがみあうより、「ああ、そういうことであればたしかにおれのいうことはまちがってるかもなあ」とすなおにおもえるような基準があればなと、切実におもいます。
posted at 18:09:47
@fujitapiroc1964 @squawai えられないでしょうね。あと、形式言語とはいえけっきょくは、それがどのようにもちいられる(解釈される)かをさだめるのは、最終的には自然言語(および形式化以前の世界の受容意識)依存になってしまう部分もおおきいので。でもぼくは、考えの疎通のためにやれることはやりたいとおもいます。
posted at 18:06:43
@fujitapiroc1964 @squawai 藤田さんのいうこともすごくわかるんです。でも、哲学の論戦をみていると、「そもそもの基底概念のすりあわせがうまくいってないんじゃないか?」とおもうことがけっこうあるんですよね。だから、もそういう基底概念にかんしてはクリアな形式的定義をある程度したほうがいいのではとおもうんです。
posted at 17:58:17
@fujitapiroc1964 @squawai もちろん、一方的な押しつけはよくありません。でも、どのような言語であれ、ある言葉をどのようにもちいるかについての共通概念は必要であり、それについての同意や、あるいは反意の道程を容易ならしめる手段のひとつとして形式化はそれほどわるくないのではないかとおもうのですが、いかがでしょう?
posted at 17:54:58
@fujitapiroc1964 @squawai 一哲学徒として、そもそもの基本概念のすりあわせの段階で失敗してるんじゃないかという場面をおおく経験してきたがゆえ、とりあえずの「共通概念の土台」みたいなものを夢想しているのかもしれません。そういう土台があれば、無用な論戦とか必要ないのにとおもうのですが。
posted at 17:52:07
@squawai @fujitapiroc1964 どこに多義性を残存させどこで多義性を縮減させるかという形式化以前のもんだいがあるとおもいます。もちろん、そのような形式化以前のもんだいにかんしてはむずかしいところがありますが、そういう点についてもある程度「共通言語」を設定することによってすりあわせができないかとぼくは夢想します。
posted at 17:48:50
@fujitapiroc1964 @squawai でも、平行線をたどるより、やらないよりはましなんじゃないかという気がするんですよね。
posted at 17:45:45
@fujitapiroc1964 @squawai だから、その「徹底的に語り合う」ための言葉を、もうすこし共通化したらいいんじゃないかということです。
posted at 17:44:04
@fujitapiroc1964 @squawai ぼくも、ある議論を形式化すれば万事解決とはおもっていません。それでも(直前のツイートのくりかえしになりますが)やらないよりはましじゃないかとおもうのです。
posted at 17:42:18
@fujitapiroc1964 形式化によって曖昧さが完全に回避できるとはおもっていません。(そもそも、どんな概念についてでも、その形式化のやり方の是非について議論がでるとおもう)でも、形式化することによって回避できる曖昧さもすくなくないともおもうのです。
posted at 17:41:11
@squawai @fujitapiroc1964 ようするに、ある概念にかんして、その定義に同意するにせよ反対するにせよ、そもそもその概念の定義に「同意」や「反対」することの根拠がクリアになってほしい。(さもなければ、堂々めぐりになりかねない)そういう議論の下地として、形式化はわるくない手段だとおもうのですが、どうでしょう?
posted at 17:37:59
@squawai @fujitapiroc1964 ぼくが意図していた「形式化」とは、単純化していえば形式言語(たとえばプログラミング言語)であらわすというようなことをかんがえていましたが、それ以前に、基底的概念(たとえば「存在」とか)にかんして、ある程度「同じ言葉」でかたりうるプラットフォームは最低限ほしいとおもいます。
posted at 17:34:56
このようにいっておもったけど、形式化以前に、オントロジーをしっかりと整備するということのほうが重要かもしれない。
posted at 17:30:02
@fujitapiroc1964 ああ、そういうことであれば、それは「で?」という感じがしますね。ぼくが意図していたのは、そういう表面上の「表し方」にかかわることではなく、意図したことをいかに曖昧性や多義性なくつたえるにはどうすればいいかということでした。
posted at 17:29:02
@fujitapiroc1964 具体的に「どうでもいいところから中途半端に形式化されてる」というものとして藤田さんがかんじられるのは何がありますか?
posted at 17:24:34
すべてプログラミング言語でかかれた哲学書とかどうか。(基底的概念にかんしてはオントロジーをつくる)
posted at 17:20:49
@wagatsukireizen 形式化したとしても曖昧性/多義性は残存してしまうとおもうのですがそれでも形式化しないよりは無用な曖昧性/多義性は縮減できるとおもうのでやれることはやったほうがいいんじゃないかとおもっています。(ただ形式化の副作用として一般受容性もかなり縮減してしまうであろうのでそこはむずかしい)
posted at 17:09:56
それだと形式をこえる事がらが記述できないって? そんなん、本源的に形式化をこばむような議論を用意してからいえってんですよ。
posted at 16:45:50
ぼくは過激派なので、学的言述は何らかの形式言語で記述したほうがいいのではないかとすらおもう。
posted at 16:44:20
哲学にかぎらず学的な言述は、あたうかぎり曖昧性/多義性を縮減させるような法律書的書き方をするべきとおもう。
posted at 16:42:08
飯田隆さんはカルナップの書きものについて「法律書のようでちょっと苦手」ということをいっていたけどぼくなんかは「そこがいいんじゃん!」とおもう。
posted at 16:36:24
成田から都心にむかうリムジンバスにのってるときにみえる風景がものすごく好きなのだけどこの PV をみるとその風景がフラッシュバックする。https://www.youtube.com/watch?v=FCnIasSnmFw…
posted at 16:34:40
808 State、ふつうにプログレだとおもうの。https://www.youtube.com/watch?v=TTyf3rmghAA…
posted at 15:21:27
読書はじめによむ本は手ぢかにつんであった日本語の本からえらぼうかなとおもっている。 https://pic.twitter.com/POXwBMkKgk
posted at 13:11:14
まあ、職業病ですかね。
posted at 08:29:32
お酒のみながらよしなしことどもに熱弁ふるってたら娘に "Dad, you're too logical" といさめられた。
posted at 07:33:23