当事者が集団で取り組む事を支援する事と、当事者集団を支援する事を無意識に混同している支援者や事業所や団体が多い。 #takonoki
posted at 22:31:09
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当事者が集団で取り組む事を支援する事と、当事者集団を支援する事を無意識に混同している支援者や事業所や団体が多い。 #takonoki
posted at 22:31:09
「解る」と言い切る専門家と「解らない」と悩む支援者。私は後者から学びたい。 #takonoki
posted at 20:31:12
「~のように」と気軽に私たちは使う。でも一瞬頭に浮かんだ意味を横に置き、あえて違う意味の喩えではないかと思い浮かべる作業をしてみると、喩えで伝える/伝わる事の難しさが解るかも。 #takonoki
posted at 18:31:10
自閉の人の超積極的な行動は、周囲との折り合いがつかないために否定される。ならば行動を止める事ではなく、求めるものは周囲との折り合いでありそのための支援ではないだろうか? #takonoki
posted at 16:31:05
当事者に事柄を丁寧に伝えお願いし始める人はそれなりにいるが、事柄が終了した事を当事者に対し丁寧に伝える人は意外に少ない。 #takonoki
posted at 14:31:05
「障害の受容」と言うが、発達系障害者の場合は「受容するのは誰か?」と言う疑問が湧く。周囲が変われば明らかに障害者本人も変わる。そして、そもそも「障害を受容する」とは、本人に対してよりも周囲や社会に対して向けられる言葉だと想う。 #takonoki
posted at 12:31:08
「~して欲しくない」という支援者の想いなのか?「~してはいけない」と言う相手への責めなのかでは意味が違う。しかし、前者であっても後者として当事者に発する支援者が多い。 #takonoki
posted at 10:31:07
「服を着替える」と私達は一くくりに捉える。しかしその中には、例えば「脱ぐ、着る」があり、いつどこでとか何にとかあり、そこから生まれる様々な判断を潜って行かなければ、「着替える」と言う行為は完結しない。 #takonoki
posted at 08:31:02
「余暇」とは「暇で余った時間」を言うが、当事者はそれさえ「余暇活動」とされてしまう。 #takonoki
posted at 06:30:56
親の子殺しと子の親殺し。どちらも支援の不十分さ故に起こる事。ならばその一番の責任は私たちにある。 #takonoki
posted at 04:30:56
「私とあなたは違う」と言う時、「違い」を肯定するか否定するかで受け止め方が変わる。しかし、いずれも評価がそこにあり、当事者より支援者の評価が大きく影響する事を意識する必要がある。 #takonoki
posted at 02:30:58
人には理解している事も理解できない事もそれぞれにある。しかし、当事者は「理解している人」か「理解できない人」かに分けられる。 #takonoki
posted at 00:30:57
私たちは同じ人でも、事柄によって言葉づかいや態度を変える。しかし、その相手が当事者の場合、意識せず常に変わらぬやり取りしている人が多い。 #takonoki
posted at 22:31:01
私達が失敗と思う事と当事者が思う失敗とは違う場合が多い。そこを意識して考える事で、失敗の修復や新たな発想が生まれるように思う。 #takonoki
posted at 20:31:05
支援が当事者からズレていくのではなく、私たちが担っている支援がそもそもズレているという認識が必要だと思う。 #takonoki
posted at 18:31:00
当事者支援の現場で、当事者と共に生み出す支援の形。形となった支援の理由も合わせ伝えていかなければ、いづれは新たな管理の形になるか、支援にって生まれた当事者の変化に対応できない。 #takonoki
posted at 16:30:59
「施設から地域へ」と言うIL運動では「自立生活」が一つの目標となる。「地域で共に育つ」就学運動の先の「自立生活」は状態であって目標ではなかったりする。 #takonoki
posted at 14:31:01
就学運動を担ってきた親達にありがちなのは、卒後の課題も親たちだけで担っている姿。子どもが成人すれば、親の課題ではなく本人とその人を取り巻く人々の課題だと思う。 #takonoki
posted at 12:31:00
非定型発達の人と定型発達の人。両者は見た目同じでも世界観はまるで違う。だからこそ、一つ一つの事柄を確認するのを怠ってはいけない。 #takonoki
posted at 10:31:01
「障害」とは何か?ともに育つ子どもたちに問いかければ、「大人の幻想」である事に気づく。 #takonoki
posted at 08:31:00
「最大の敵は親」とする重度身体当事者。「親が一番の支援者」とする親。どちらも知的当事者自身ではない。 #takonoki
posted at 06:30:56
当事者の成功体験は、支援者とともに様々な取り組みの結果現れる。だが、当事者の失敗体験は、ある日突然支援者が予期せぬ時に現れるため、そのすべてを当事者の責任にしてしまう。支援者は当事者の突然の出来事に慣れることが必要だと思う。 #takonoki
posted at 04:30:57
当事者に関わる人は、家族か支援者のみではないはず。しかし、それ以外の人たちは皆そこへと集約されていく現実がある。もしくは当事者とは全く関係ない人になっている。 #takonoki
posted at 02:31:00
お互いの違いを認める事と違うお互いを認める事とは違う。 #takonoki
posted at 00:30:55
「障害当事者」とは?「障害」はお互いの関係の中にあり、お互いの課題となるはずなのに、一方に課題を負わされている人を「当事者」と表わす。 #takonoki
posted at 22:30:59
「感情」という抽象的なものを理解したり表現したりするのが苦手な発達障害の当事者。しかし、決して「感情」がないわけではない。私たちに理解できないだけ。 #takonoki
posted at 20:31:01
「ヘルパーは仕事のスキルを研け」と言うが、どのようなスキルを研く必要があるか?その中身が語られなければ、もの言えぬ当事者にとっては逆に辛くなる時もある。 #takonoki
posted at 18:31:01
私たちはある程度時間に縛られ生活している。しかし、重度の当事者たちは常に支援者の時間に縛られ生活している。 #takonoki
posted at 16:31:02
「できない人」なのか「できない事」なのか?「やりたくてもできない事」なのか「やりたくない事」なのか?当事者と支援者間でずれが生じると両者とも辛くなる。 #takonoki
posted at 14:31:00
支援者の誤解は、当事者自らが自己決定を求める事と支援者が当事者に自己決定を求める事を混同している事にある。 #takonoki
posted at 12:31:02
エレベーターを一か所設置すると多くの人たちが行き交う事ができる。しかし、知的/発達の当事者の場合一つのコミュニケーション法が確立されると専門性に委ねられ行き交う機会を奪われる。 #takonoki
posted at 10:31:00
介護派遣事業所にとって当日のキャンセルは正直困る。しかし、常に計画どおりの生活を強いられる当事者は日々困っている #takonoki
posted at 08:31:01
どちらかを選ぶと言う「自己選択」を保障する支援は大事だが、提示/提案されたものを当事者自身が「調整し」両方とも得られる支援も大事だと思う。 #takonoki
posted at 06:30:58
知的当事者本人が介助者に対し明確に指示を出すと、ヘルパーは本人の希望と思って受け止める。しかし、いつも同じパターンで介助している姿を認識し、ヘルパーの介助に当事者の側が対応しているだけという事もあるかもしれない。 #takonoki
posted at 04:30:57
「僕は人の嫌がる事をするんだ」と言う当事者。実際本人は人が嫌がる事をしているのではなく、自らの行為が相手に嫌がられているだけかもしれない。 #takonoki
posted at 02:30:58
ヘルパー個人の資質や対応のみを問題とするコーディネーターは、自らの当事者理解の範囲を超えていく事ができないように想う。 #takonoki
posted at 00:30:57
介助者は利用者宅の冷蔵庫の中身まで知っているのに、利用者は介助者の住んでいる街さえ知らない。介助者はそういう非対称の関係に無自覚であってはいけないと思う。 #takonoki
posted at 22:30:59
当事者に向かって「こんなこともわからないのか!」と嘆きたくなる事がある。しかしそれは伝えられない私自身の力量のなさを当事者の責任にしているだけかも。 #takonoki
posted at 20:31:04
当事者と一緒にいる時、「以前、他人に迷惑をかけていたよ」と見ず知らずの方が支援者に教えてくれたた。その方に対し支援者は「すみません」と応えるか「ありがとうございます」と応えるか? #takonoki
posted at 18:31:02
支援者が当事者を理解するためには、障害の専門性からではなく、支援者自らと当事者との差異をもって考える方がわかり易い。 #takonoki
posted at 16:31:00
支援の想定外で起こった当事者の行為。私たちはこれまで何をどのように想定してきただろうか?その検証なしに支援を続ける事は、当事者を私たちの想定内に押し込める事になる。 #takonoki
posted at 14:31:00
「口はわざわいのもと」と言う。そして、当事者は常に独自の表現(言葉づかい)のために周囲に誤解を与えつづけている。 #takonoki
posted at 12:31:03
「障害」がお互いの関係の中にあるものとすれば、支援者は「能力の劣る者」を支援するという発想ではなく、様々な関係の中で互いの違いから折り合いを見出すことだと思う。 #takonoki
posted at 10:31:01
想いを言葉で伝えられない当事者に残された手だては、諦める、従う、暴れるしかなく、他者に相談すると言う手だてがない。 #takonoki
posted at 08:31:00
介助は「労働」と捉えるか「関係」と捉えるかで意味が大きく変わる。しかし、当事者の暮らしにおいては、その両方が必要でありどのように組み合わせるかが大事だと思う。 #takonoki
posted at 06:30:57
障害当事者がいる家族にとって、様々な制度やサービスが「家族のレスパイト」になる事は否定するものではない。しかし、その担い手たちは「家族のレスパイト」に留まらず、当事者との出会う/やり取りする機会とし捉え、当事者とともに次を思考する必要があると思う。 #takonoki
posted at 04:30:54
障害当事者の制度利用において必要なのは、ケアマネージャーではなくケアコーディネーターである。 #takonoki
posted at 02:30:58
「支援者は当事者の主体を大切にする事が支援」と言うが、支援者と当事者の主体がぶつかる時、その真の意味が支援者に問われる。 #takonoki
posted at 00:30:59
「わからない」事に不安にならず「わからない」故につきあいつづける。 #takonoki
posted at 22:31:00
当事者が「できる」と言ってしまうのは、単に「できない」事への恥ずかしさだけでなく、「できない」と言った時に周囲に対する証明を求められ苦慮する面があるからかもしれない。 #takonoki
posted at 20:31:02
逃げない。抱え込まない。ところに支援の本質への入口があるように思う。 #takonoki
posted at 18:31:02
「自立生活」という「生活」があるのではなく、それぞれの暮らしを「自立生活」という。 #takonoki
posted at 16:30:58
怒られている理由が解らない当事者。支援者の顔色を見て行動するか、隠れて行動するしかないかも。 #takonoki
posted at 14:31:02
「当事者との関係づくり」を言う時、私たちが良しとする関係づくりを求めている。 #takonoki
posted at 12:30:59
人とのやり取りは、一言多くても一言足りなくてもあれこれ誤解を生む時がある。それでも、私達は修正する術をある程度持っている。しかし、発達障害の当事者とのやり取りは、言葉通り一言多く・一言足りなくて互いに様々な誤解を生んでいる。 #takonoki
posted at 10:30:58
事柄の判断は、時と場合と相手によって変わる。その事の了解なしに当事者と支援者がやり取りすれば常に一般論でしかなく、それではいつまでも当事者は様々な場面で自らが判断する事ができない。 #takonoki
posted at 08:31:01
他害行為と言うリスクを回避するための見守りか、他害行為によって当事者が負うリスクを回避するための見守りかで支援の意味が変わるように思う。 #takonoki
posted at 06:30:56
重度知的当事者に対する支援の難しさは、支援に対する評価を本人ではなく周囲が行ってしまうところにあると思う。 #takonoki
posted at 04:30:57
「重度知的障害を伴う自閉症の人は、いつも同じパターンで暮らすことを好む」と言うのは嘘だと思う。逆に微細な違いをも発見するために混乱し、結果周囲が言うとおりに動かされているだけかもしれない。 #takonoki
posted at 02:30:58
目に写る事には、なにがしかの理由や成り立ちがある。それを「常識」とか「普通」とか「現状」とまとめずに考えてみると、当事者との世界観の違いを理解するきっかけになるかも。 #takonoki
posted at 00:30:57