情報更新
ツイートの記録を停止しています

 

ツイート検索

 

@takonokibot
サイトメニュー
Twilogユーザー検索
新規ツイートの取得を再開しました!取得再開にはログインが必要です。

Twilog

ツイートの記録を停止しています

このアカウントはTwitter APIの仕様変更の影響でツイートの記録を停止しています。
記録を再開するには、Twilogにログインしてください。

 

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

  • 0フォロー
  • 949フォロワー
  • 64リスト
Stats Twitter歴
5,087日(2010/04/25より)
ツイート数
17,128(3.3件/日)

ツイートの並び順 :

表示するツイート :

2018年07月31日(火)12 tweetssource

7月31日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

「~のように」と気軽に私たちは使う。でも一瞬頭に浮かんだ意味を横に置き、あえて違う意味の喩えではないかと思い浮かべる作業をしてみると、喩えで伝える/伝わる事の難しさが解るかも。 #takonoki

posted at 18:31:10

7月31日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

自閉の人の超積極的な行動は、周囲との折り合いがつかないために否定される。ならば行動を止める事ではなく、求めるものは周囲との折り合いでありそのための支援ではないだろうか? #takonoki

posted at 16:31:05

7月31日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

「障害の受容」と言うが、発達系障害者の場合は「受容するのは誰か?」と言う疑問が湧く。周囲が変われば明らかに障害者本人も変わる。そして、そもそも「障害を受容する」とは、本人に対してよりも周囲や社会に対して向けられる言葉だと想う。 #takonoki

posted at 12:31:08

7月31日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

「~して欲しくない」という支援者の想いなのか?「~してはいけない」と言う相手への責めなのかでは意味が違う。しかし、前者であっても後者として当事者に発する支援者が多い。 #takonoki

posted at 10:31:07

7月31日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

「服を着替える」と私達は一くくりに捉える。しかしその中には、例えば「脱ぐ、着る」があり、いつどこでとか何にとかあり、そこから生まれる様々な判断を潜って行かなければ、「着替える」と言う行為は完結しない。 #takonoki

posted at 08:31:02

7月31日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

「私とあなたは違う」と言う時、「違い」を肯定するか否定するかで受け止め方が変わる。しかし、いずれも評価がそこにあり、当事者より支援者の評価が大きく影響する事を意識する必要がある。 #takonoki

posted at 02:30:58

2018年07月30日(月)12 tweetssource

7月30日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

当事者支援の現場で、当事者と共に生み出す支援の形。形となった支援の理由も合わせ伝えていかなければ、いづれは新たな管理の形になるか、支援にって生まれた当事者の変化に対応できない。 #takonoki

posted at 16:30:59

7月30日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

「施設から地域へ」と言うIL運動では「自立生活」が一つの目標となる。「地域で共に育つ」就学運動の先の「自立生活」は状態であって目標ではなかったりする。 #takonoki

posted at 14:31:01

7月30日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

就学運動を担ってきた親達にありがちなのは、卒後の課題も親たちだけで担っている姿。子どもが成人すれば、親の課題ではなく本人とその人を取り巻く人々の課題だと思う。 #takonoki

posted at 12:31:00

7月30日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

当事者の成功体験は、支援者とともに様々な取り組みの結果現れる。だが、当事者の失敗体験は、ある日突然支援者が予期せぬ時に現れるため、そのすべてを当事者の責任にしてしまう。支援者は当事者の突然の出来事に慣れることが必要だと思う。 #takonoki

posted at 04:30:57

7月30日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

当事者に関わる人は、家族か支援者のみではないはず。しかし、それ以外の人たちは皆そこへと集約されていく現実がある。もしくは当事者とは全く関係ない人になっている。 #takonoki

posted at 02:31:00

2018年07月29日(日)12 tweetssource

7月29日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

「感情」という抽象的なものを理解したり表現したりするのが苦手な発達障害の当事者。しかし、決して「感情」がないわけではない。私たちに理解できないだけ。 #takonoki

posted at 20:31:01

7月29日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

「ヘルパーは仕事のスキルを研け」と言うが、どのようなスキルを研く必要があるか?その中身が語られなければ、もの言えぬ当事者にとっては逆に辛くなる時もある。 #takonoki

posted at 18:31:01

7月29日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

「できない人」なのか「できない事」なのか?「やりたくてもできない事」なのか「やりたくない事」なのか?当事者と支援者間でずれが生じると両者とも辛くなる。 #takonoki

posted at 14:31:00

7月29日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

エレベーターを一か所設置すると多くの人たちが行き交う事ができる。しかし、知的/発達の当事者の場合一つのコミュニケーション法が確立されると専門性に委ねられ行き交う機会を奪われる。 #takonoki

posted at 10:31:00

7月29日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

知的当事者本人が介助者に対し明確に指示を出すと、ヘルパーは本人の希望と思って受け止める。しかし、いつも同じパターンで介助している姿を認識し、ヘルパーの介助に当事者の側が対応しているだけという事もあるかもしれない。 #takonoki

posted at 04:30:57

2018年07月28日(土)12 tweetssource

7月28日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

介助者は利用者宅の冷蔵庫の中身まで知っているのに、利用者は介助者の住んでいる街さえ知らない。介助者はそういう非対称の関係に無自覚であってはいけないと思う。 #takonoki

posted at 22:30:59

7月28日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

当事者に向かって「こんなこともわからないのか!」と嘆きたくなる事がある。しかしそれは伝えられない私自身の力量のなさを当事者の責任にしているだけかも。 #takonoki

posted at 20:31:04

7月28日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

当事者と一緒にいる時、「以前、他人に迷惑をかけていたよ」と見ず知らずの方が支援者に教えてくれたた。その方に対し支援者は「すみません」と応えるか「ありがとうございます」と応えるか? #takonoki

posted at 18:31:02

7月28日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

支援の想定外で起こった当事者の行為。私たちはこれまで何をどのように想定してきただろうか?その検証なしに支援を続ける事は、当事者を私たちの想定内に押し込める事になる。 #takonoki

posted at 14:31:00

7月28日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

「障害」がお互いの関係の中にあるものとすれば、支援者は「能力の劣る者」を支援するという発想ではなく、様々な関係の中で互いの違いから折り合いを見出すことだと思う。 #takonoki

posted at 10:31:01

7月28日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

介助は「労働」と捉えるか「関係」と捉えるかで意味が大きく変わる。しかし、当事者の暮らしにおいては、その両方が必要でありどのように組み合わせるかが大事だと思う。 #takonoki

posted at 06:30:57

7月28日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

障害当事者がいる家族にとって、様々な制度やサービスが「家族のレスパイト」になる事は否定するものではない。しかし、その担い手たちは「家族のレスパイト」に留まらず、当事者との出会う/やり取りする機会とし捉え、当事者とともに次を思考する必要があると思う。 #takonoki

posted at 04:30:54

2018年07月27日(金)12 tweetssource

7月27日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

当事者が「できる」と言ってしまうのは、単に「できない」事への恥ずかしさだけでなく、「できない」と言った時に周囲に対する証明を求められ苦慮する面があるからかもしれない。 #takonoki

posted at 20:31:02

7月27日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

人とのやり取りは、一言多くても一言足りなくてもあれこれ誤解を生む時がある。それでも、私達は修正する術をある程度持っている。しかし、発達障害の当事者とのやり取りは、言葉通り一言多く・一言足りなくて互いに様々な誤解を生んでいる。 #takonoki

posted at 10:30:58

7月27日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

事柄の判断は、時と場合と相手によって変わる。その事の了解なしに当事者と支援者がやり取りすれば常に一般論でしかなく、それではいつまでも当事者は様々な場面で自らが判断する事ができない。 #takonoki

posted at 08:31:01

7月27日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

「重度知的障害を伴う自閉症の人は、いつも同じパターンで暮らすことを好む」と言うのは嘘だと思う。逆に微細な違いをも発見するために混乱し、結果周囲が言うとおりに動かされているだけかもしれない。 #takonoki

posted at 02:30:58

7月27日

@takonokibot

たこの木BOT@takonokibot

目に写る事には、なにがしかの理由や成り立ちがある。それを「常識」とか「普通」とか「現状」とまとめずに考えてみると、当事者との世界観の違いを理解するきっかけになるかも。 #takonoki

posted at 00:30:57

このページの先頭へ

×