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@takuyak56

小林卓也@takuyak56

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Stats Twitter歴
5,215日(2009/12/19より)
ツイート数
3,693(0.7件/日)

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2019年03月28日(木)1 tweetsource

2019年03月04日(月)1 tweetsource

3月4日

@takuyak56

小林卓也@takuyak56

高校生の頃、この『ジギー・スターダスト』VHS版を買ったな(JEUGIA三条本店)、冒頭、楽屋で「ママが昨日UFOを見てね」ってボウイが言うのよ。洋書のスコアも買ったな(三条河原町にあった旧丸善にて)。ミック・ロンソンの『プレイ・ドント・ウォーリー』はカセットテープかMDに入れて聞いてたな。

posted at 13:03:10

2019年03月02日(土)2 tweetssource

3月2日

@takuyak56

小林卓也@takuyak56

とか言いつつ、シャーベッツの「38スペシャル」が拳銃の名前だということを、この前BSでやっていたスコセッシの「ケープ・フィアー」を観て初めて知った。

posted at 10:14:51

3月2日

@takuyak56

小林卓也@takuyak56

「ピザ屋の彼女になってみたい」は、ブランキーの「ピンクの若いブタ」からの引用(アバズレ、チューインガム、ピザ屋の彼女)。「ブタが逃げたぞ〜!」ってのが良いやね。

posted at 10:11:52

2019年03月01日(金)12 tweetssource

3月1日

@takuyak56

小林卓也@takuyak56

しかし、ここでの強度量の議論は、カントの内包量にベルクソンの質的多様体の議論が読み込まれたものなので、これを実存の水準としてしまうのは疑問である(し、そう主張するには、実存する個体を強度の取り消し、包含‐展開関係によって規定するなどの、いくつかステップを踏む必要がある)。

posted at 18:18:30

3月1日

@takuyak56

小林卓也@takuyak56

『差異と反復』において存在(差異)が強度量(内包量)とされるのは事実である(スミスは無視しているが、強度的差異に加えて理念的差異の議論もある)。

posted at 18:18:29

3月1日

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小林卓也@takuyak56

こうして議論は、本質の水準から実存(existence)の水準に移行するとし、道徳から倫理(そして、倫理‐政治)へとスライドしていくとスミスは主張する。

posted at 18:18:29

3月1日

@takuyak56

小林卓也@takuyak56

われわれはもはや事物の本質とは何か(たとえば、“理性的動物”ないし“羽根のない二足歩行する動物”としての人間)を問うのではなく、存在する個体の力は、触発される一定の能力によって表現されるからには、その情動的な能力が何なのかを問うことになる」(40-41)。

posted at 18:18:29

3月1日

@takuyak56

小林卓也@takuyak56

(中略)存在者はもはや質的な本質(存在の類比)によって区別されるのではなく、力という量化可能な度合(存在の一義性)によって区別される。

posted at 18:18:29

3月1日

@takuyak56

小林卓也@takuyak56

(中略)驚くことはない、この問題に唯一ありうる解決を予見していた(foresaw)のはスピノザである。この問題において、唯一許容することのできる差異とは、力の度合としての差異である(強度量の力学)。ある存在者(a being)の力ないし強度とは、存在(Being)に対するその関係である。

posted at 18:18:29

3月1日

@takuyak56

小林卓也@takuyak56

というのも、存在者をそれらの実体によって、あるいはそれらの形相によって、あるいはそれらの類的差異や種的差異によって区別するのであれば、このときわれわれは類比的な世界の見方に立ち戻ってしまうからだ。

posted at 18:18:28

3月1日

@takuyak56

小林卓也@takuyak56

スミスは『差異と反復』の議論をこう記述する。「存在(Being)が、存在するあらゆるものについて、ひとつの意味かつ同じ意味で言われるとき、では何が存在者(beings)間の差異を構成するのか。一義的な存在論においては(アリストテレス‐カント的な意味での)いかなるカテゴリーもありえない。

posted at 18:18:28

3月1日

@takuyak56

小林卓也@takuyak56

ガンのヘリンクスからスコトゥスに引き継がれる中世スコラ哲学における存在の一義性、スピノザにおける三つの一義性(属性の一義性、原因の一義性、様態の一義性)、『差異と反復』におけるアリストテレスの種差とこれに対するドゥルーズの一義性解釈の整理はとても勉強になる。

posted at 18:18:28

3月1日

@takuyak56

小林卓也@takuyak56

Daniel Smith, "Univocity The Doctrine of Univocity: Deleuze’s Ontology of Immanence"(in *Essay on Deleuze*, Edinburgh University Press, 2012)を読む。

posted at 18:18:28

3月1日

@takuyak56

小林卓也@takuyak56

concatenation(連鎖・連結)という単語を見て、カタクリ粉の語源はこれではないか(分子結合?)と疑い、ググるくらいには疲れている。

posted at 15:03:53

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