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@tarareba722

たられば@tarareba722

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4,700日(2011/05/18より)
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2020年01月26日(日)21 tweetssource

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

『源氏物語』で、空蝉が光源氏をなじるシーンがある。「身分の低い、遊ぶ女と思ってバカにするな」と涙ながらに訴え、甘い言葉で言い寄る光源氏から夜着一枚を残して逃げ去る。
百年前に建てられた古い屋敷で、紫式部が自分に重ねてこのシーンを書いたと知った時、先輩がすごくリアルに感じられた。

posted at 22:33:34

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

空蝉は紫式部と共通点が多いとされており(かつての名家出身で今はかなり年上の受領の夫と暮らす等)、紫式部は自身の思い出と近所を題材としてこのパートを書いたんだろうなと思う。
紫式部は夫・藤原宣孝の第四夫人だった。この時代、正妻以外は実家で暮らし、妻はいつ来るかわからない夫を待った。

posted at 22:27:06

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

『源氏物語』がどこから書き始められたかは諸説あるが、有力なものに「帚木三帖から書かれた」という説がある。「雨夜の品定め」から始まる、光源氏が「中流の女の魅力」に目覚めるパートといえる。この一連のシーンのヒロインのひとりが「空蝉」で、彼女も作中、堤中納言邸の近くに暮らしていた。

posted at 22:21:31

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

鴨川(当時は賀茂川)の堤のそばの屋敷だったから「堤中納言」だったわけだ。その屋敷跡は、いまは「廬山寺」というお寺があり、紫式部の碑が建っている。『源氏物語』もここで執筆されたとされる。結婚後3年で夫を亡くした紫式部は、ここに建つ古い屋敷で、川の流れる音を聞きながら、物語を書いた。 pic.twitter.com/pQBsbv7Auc

posted at 22:18:42

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

紫式部先輩の曽祖父は藤原兼輔といって、醍醐帝に仕えた上級貴族だった。兼輔は紀貫之や凡河内躬恒を家に呼んで歌を詠ませるほどの実力者で、鴨川沿いに邸宅を建てて住んだことから「堤中納言」と呼ばれた。『堤中納言物語』の由来となった人物だ。先輩は築後約100年のこの屋敷で生まれ育ったわけだ。

posted at 22:14:48

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

本を読んでいると、ふとした記述で「知っていたこと」と「知っていたこと」が繋がることがあって、その瞬間に、これまで「情報」として知っていたことが突然、頭の中で実像を結ぶようにリアルに感じられることがある。紫式部先輩で言うと、それは先輩の生家と曽祖父についての記述を読んだときだった。

posted at 22:10:03

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

「恥ずかしいだとか、つらいだとかいう思いに沈むことを免れていた。」
『紫式部日記』(角川ソフィア文庫刊)「御前の池にて」より(現代語訳はツイート主による)

紫式部先輩、おそらく『源氏物語』完成前の、つらつらと前半を書いていた頃の述懐と思われます。いやー、、。人って変わりませんね。

posted at 19:07:36

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

「(母を亡くし、姉を亡くし、親友を亡くし、夫を亡くした)わたしの寂しさなど、世の人々の悲しみの総数に比べればどうということはないだろう。それは分かっているけれど、さしあたりこの(自分の)小さな家の中での暮らしや、気心を知る友人たちとの付き合いの間柄では、」

posted at 19:04:58

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

「たわいなく頼りないと言われる【物語】でも、わたしにはそれについて語り合える友人がいた。同じ心を抱き合える人と、しみじみと思いを述べた手紙を交わし、疎遠な人も伝手を求めて連絡をとった。わたしはだたこの【物語】を手掛かりにして、試行錯誤を繰り返して、自分を慰め、寂しさを紛らわせた」

posted at 19:02:09

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

FGOの今回のイベントや幕間でのセリフですっかり紫式部先輩のファンになった方も多いと思うので、ここで先輩の「物語」についての考えを、『紫式部日記』から転載しておきたいと思います。なんというか、先輩、イメージ通りすぎて泣けました…。。→

posted at 18:59:48

1月26日

@nekosyokudou

おチヨ@nekosyokudou

@tarareba722
ベビーカーのご夫婦に狛犬ポジションをお譲りすることに成功いたしました!話しかけてみたら日本の方ではなかったのでドギマギしましたが、お礼を言ってくださって。たらればさんの教えのおかげです。おおきにありがとうございました。

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retweeted at 17:04:06

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

この「シナリオの中で、設定上、キャラクターが知っているはずのこと」を踏まえてゲームのマテリアルなりバビロニアのアニメなりを見返すと、初見の頃とは別の味わいが出てくるところ、シナリオの奥深さがとんでもないなあ、、と思うのでした。

posted at 14:08:00

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

なにしろギルガメシュ王は「すべてを見た人」なわけです。そして彼はこのバビロニアに起こった顛末を彼の民に話してもいる。だからシドゥリさんも自らの運命を知っていた可能性もあります。
その上で、主人公たちを歓待し、特異点の中に特異点を作ることで、世界を救う可能性に賭けたわけですよね。

posted at 14:05:41

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

(FGOバビロニア、アニメしか追っていない方、ゲームでも第一部7章を未履修の方、以下のツイートには一部ネタバレが含まれてます。ミュートを推奨します)

シドゥリさんと主人公たちの出会いと別れは7章バビロニア最大のトラウマ事案なのですが、これ、ギルガメシュ王はすべて知っていたんですよね。

posted at 14:02:43

1月26日

@yuyu2000_0908

末次由紀@yuyu2000_0908

永世名人西郷直樹さんが、ちはやふる基金のことについて書いて下さってる。ありがたいなぁ、と思うのと同時に、大名人の西郷さんの言葉を読める場があると言うことに深く喜ぶ。嬉しい。
競技かるたは一人ではできない ~「ちはやふる基金」のご紹介~ - 三島せせらぎ会 saigo3150.hatenadiary.com/entry/2020/01/

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retweeted at 11:10:37

1月26日

@YUHIKAKU_eigyo

有斐閣 営業部@YUHIKAKU_eigyo

昨夏、旺文社様×有斐閣コラボのシークレット缶バッジでお世話になりました、『ちはやふる』著者の末次由紀先生が「一般社団法人 ちはやふる基金」を設立されました。競技かるたと小倉百人一首、携わる皆々様への強いお気持ちを感じます。
prtimes.jp/main/html/rd/p twitter.com/YUHIKAKU_eigyo

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retweeted at 01:38:45

1月26日

@tarareba722

たられば@tarareba722

いまだにシドゥリさんには、いつか受けた恩を返さなければならない、と思うところがあるし、なんだったらそれが、2部に入ってからも「汎人類史を救わなければいけない理由」のひとつになってたりします。

posted at 01:11:32

1月26日

@ke_1sato

佐藤賢一の中の人@ke_1sato

ちょいと歴史研究の話を。

「歴史って、研究者の解釈によって内容が変わったり、二度と再現されない過去の物事を扱うだけだし、精々雑学でしょ?」というように昨今は思われているかもしれない。さて、どういう例で応答すべきか。

Retweeted by たられば

retweeted at 01:08:34

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