たとえば川村美紀子は行き着くところまで行ってしまっているので、「いいダンスを見よう」とも、いや「ダンスを見よう」とさえ思わず川村その人を見に行く。康本の場合そこまでではないが、康本作品、康本の世界を見に行くのであって、内容はダンスであろうとなかろうとかまわない。
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たとえば川村美紀子は行き着くところまで行ってしまっているので、「いいダンスを見よう」とも、いや「ダンスを見よう」とさえ思わず川村その人を見に行く。康本の場合そこまでではないが、康本作品、康本の世界を見に行くのであって、内容はダンスであろうとなかろうとかまわない。
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今回の『全自動煩悩ずいずい図』は、なんと言うかアサヒアートスクエアに似合いそうな作品。今はない浅草のアサヒアートスクエアで吾妻橋ダンスクロッシングをはじめいろいろな公演が開かれ、一部の人が「日本のコンテンポラリーダンスの最盛期だった」となつかしむ時代の空気を思い出した。
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今回は言ってみれば「煩悩とは身体である」という角度から身体を見ている? 頭の中で発生する煩悩も身体を通すことで煩悩として確定すると言うか…。インド音楽を使うところは当然ベジャールの『バクチ』に似たりもする。ただベジャールに比しても公序良俗にとらわれている感あり。
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康本の世界を見に行くのではあるが、興味としては薄い。なのでおもしろかったとかつまらなかったとかは思わない。だいたいの感じがわかれば興味は満たされる。ただ公序良俗の壁を突破したらどうなるかなとは思う。過去のソロ作品にそんな壁は感じなかったが、今回は人を使っているからかな。
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