クズってほどじゃないけど、離れて暮らすつれない息子がプロレス好きと知ってプロレスラーを目指す中年女性の話。
posted at 23:58:16
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クズってほどじゃないけど、離れて暮らすつれない息子がプロレス好きと知ってプロレスラーを目指す中年女性の話。
posted at 23:58:16
「薬の神じゃない!」も一億回見たであろう、主人公がクズで元妻に子を取られそうになっているというのに始まるんだけど、私は「中年女性の映画」なら、母でも妻でもなくというよりこの手の話の主人公が女性である映画が見たい。そういう点で10年代で印象的だったのは「ママはレスリング・クイーン」。
posted at 23:58:16
だから映画の終わりに出る、本作によって現実が変わったという文を読んで、それ以上のことは今は分からないけれど、とても力づけられた。
posted at 23:53:37
「薬の神じゃない!」彼女が初めて仲間と金を得て自分を物扱いしていた男に脱げ脱げ!と享楽的に叫ぶ姿にふと、ひととき一人が解放されても他の嫌々働いている女達が救われる訳じゃないというこの状況は、「違法」薬物で命を長らえても大きな力に支配されているというのと同じじゃないかと思った。
posted at 23:53:36
そうだよね、人間愛に目覚めたら、女をそんなふうに扱うなんてできない「はず」だよね。世の中なんだかそうでもないようなことが多いけれども。
posted at 23:47:49
「薬の神じゃない!」主人公への「彼女(販売仲間のシングルマザー)が踊った後に酒につきあわせますから」とは男同士で女を物扱いしてその場を治めようとするいつものやつだが、主人公は断る。この時の主人公と逆の世界では常に女が物扱いされている。偽博士の壇上や工場主としての接待の場など。
posted at 23:47:48
猛然と麺を食べるというのがやはりうちらにとっては生命力を連想させるのだろう、「鵞鳥湖の夜」の終盤では最後の、、、といった感じだったけど、「薬の神じゃない!」では命の幕開けとなる。薬を飲んだ患者がくらいつく。これに限らず薬を飲んだ者や家族がやたら元気になるのは比喩のようにも取れる。
posted at 23:44:42
「薬の神じゃない!」雨の晩に主人公が言い放つ「おれは患者でもないのに」。後に義理の弟が患者にすがられる際の「誰だっていつこの病気になるか分からないよ」なんて、言わなくていいはずの言葉なのだ。立場上そう添えねばならないのが辛い。誰だって「見ていられない」はず、それで十分なのに。
posted at 23:42:51
「薬の神じゃない!」はこれ以上ないってくらいのマスク映画だった。序盤のある場面とラストの対比。白血病患者にとってのそれだから、主に外すことで彼らが命を掛けていることを表している(とはいえ見ながら外させなくてもいいのにと思ってしまった)。
posted at 23:38:48
ロサにて「薬の神じゃない!」。面白かった。終わるのが遅かったので周囲の中国には寄らず帰宅してご飯。この映画、昨今珍しく始めに「実話をもとにして」みたいな文が出なかったよね?仕事の後で一瞬うとうとして見逃したかな?最後の文をしっかり読んだ、その後の「実際」をとても追いたくなる映画。 https://pic.twitter.com/UPIPJME28i
posted at 23:32:15